一本の笛との出会い。

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三年前の今日 2017.8.18 

Facebookに投稿したのをこちらで再度お伝えさせて頂きます。


この笛との出会いは、さかのぼること2008年、ある一つの響きを感じたことから始まります。

その響きを笛師の方に伝えたところ、笛師の方が「一節切」という種類の笛として形にあらわしてくださいました。

その笛ができたのとちょうど同時期に、奈良・薬師寺の僧侶の方からインドの聖地巡礼のお誘いを頂きました。

一節切は、一休宗純様もお吹きになられたとのことから、仏教の大元の地でもあるインドとの繋がりを感じ、インド行きを決断、また吹き初めは一休宗純の庵でもある京都大徳寺の真珠庵、方丈の間でお許しを頂き、一休様の御前で吹かせて頂きました。


その後インド巡礼に行く前に、改めて笛師の方からこの笛の経緯をお聞きしたところ、越前朝倉家十一代当主、朝倉義景公の好みであった笛を、朝倉家にお許しを頂き再現されたものだということを伝えられました。

このことからこの笛は、朝倉義景公へ捧げるいわば鎮魂の笛であるという思いが強くなり、同年の秋には初めて一乗谷の義景公のもとを訪ね吹かせて頂き、翌年2009年の1月に渡印させて頂いた際には、義景公のご供養の為に聖地で吹かせて頂きました。

同年2月には、和歌山の高野山とも繋がり、別格本山の龍泉院の本堂、薬師如来様の御前で献笛、その後日を改めて朝倉家の菩提寺を巡り献奏をさせて頂き、また越前国二の宮の劔神社例大祭でもご縁を重ね、比叡山延暦寺根本中堂薬師如来様の御前へと結ばれ献奏を続けさせて頂くことと成りました。


一管の笛との出会いにより、点と点が結ばれ線と成り、目に見えない何かが引き寄せられ、神仏のもとへと結ばれた事は、歴史を超えて、この今に大切な何かを感じさせて頂き、学ばせて頂けたのだと、有り難く感謝の気持ちでいっぱいになりました。


その後も、福井県史を調べていたところ、大倉家の先祖も幾度となく、お見舞いに御当地を訪れさせて頂いていたり、滞在して居たこともわかりました。


明後日二十日には、ご当地の方のご縁により、朝倉義景公の祥月命日の法要の時にお許しを頂き、気持ちを新たにこの笛を吹かせて頂きます。


朝倉義景

生誕 天文2年9月24日

      (1533年10月12日)

死没 天正元年8月20日

       (1573年9月16日)


※ 一節切・一乗之笛

      雲龍