ころころこ〜ろと、、
息吹之笛は、
増穂登り窯で、
いろいろな土の中からわけて頂いて、
だいたい約百グラムをころころころと掌で丸め、一つの穴を開けて創っています。
季節によっても、土の種類によっても、
丸まり方はまちまちです。
掌でころころしているうちから乾きはじめたり、丸め過ぎるとボロボロになって、稲妻が走るようにヒビが入り、まとまり辛い土もあります。
丸めた一瞬に小さな穴を開けて、
息を入れて音を出し、穴の形状を確かめます。
この瞬間が、
生土の生音が響く瞬間でもあります。
この段階で綺麗に音が響いても、
焼き上がってみると音が出ないことも多々あります。
自然石の磐笛は、音が出やすい石ばかりではありません。
手にするその人にとって、自然界からの授かりもので、ピタッと出会う瞬間があります。
この笛を丸めている時も、その自然界からの出会いを少しは意識をしていますが、初めての方でも、努力して吹き続けることで、響きを発するようにと、工夫をして創っています。
初めて手にされた方でも、直ぐに響く方と、
何ヶ月も経ってようやく響く方と様々です。
やっとのおもいで響いた瞬間は、
それはとてもうれしい瞬間でもあり、忘れ難い経験となります。
この笛は、吹けば誰でも直ぐに音がでるわけでもありませんが、音が響いた時の喜びは、また格別なものがあります。
ころころこ〜ろと、
そのはじまりの風を感じ、吹くことの喜びを感じる笛として、、。
ころころこ〜ろと、、
息吹之笛は、
増穂登り窯で、
いろいろな土の中からわけて頂いて、
だいたい約百グラムをころころころと掌で丸め、一つの穴を開けて創っています。
季節によっても、土の種類によっても、
丸まり方はまちまちです。
掌でころころしているうちから乾きはじめたり、丸め過ぎるとボロボロになって、稲妻が走るようにヒビが入り、まとまり辛い土もあります。
丸めた一瞬に小さな穴を開けて、
息を入れて音を出し、穴の形状を確かめます。
この瞬間が、
生土の生音が響く瞬間でもあります。
この段階で綺麗に音が響いても、
焼き上がってみると音が出ないことも多々あります。
自然石の磐笛は、音が出やすい石ばかりではありません。
手にするその人にとって、自然界からの授かりもので、ピタッと出会う瞬間があります。
この笛を丸めている時も、その自然界からの出会いを少しは意識をしていますが、初めての方でも、努力して吹き続けることで、響きを発するようにと、工夫をして創っています。
初めて手にされた方でも、直ぐに響く方と、
何ヶ月も経ってようやく響く方と様々です。
やっとのおもいで響いた瞬間は、
それはとてもうれしい瞬間でもあり、忘れ難い経験となります。
この笛は、吹けば誰でも直ぐに音がでるわけでもありませんが、音が響いた時の喜びは、また格別なものがあります。
ころころこ〜ろと、
そのはじまりの風を感じ、吹くことの喜びを感じる笛として、、。
増穂登り窯の窯詰め。
本日、山梨県の増穂登り窯オーナーの太田さんから、
明日火入れを行う窯詰めの様子を写真で送ってくださいました。
息吹之笛は、全て窯詰めされましたとのこと。
今回も火入れには立ちあうことが叶いませんでしたが、昨年暮れに丸めたのと、先月と今月丸めたのを一緒に入れてくださいました。
令和元年から、二年にかけてのいろいろなおもいが一緒に焼き締められます。
太田さん、関係の皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。
一本の笛との出会い。
三年前の今日 2017.8.18
Facebookに投稿したのをこちらで再度お伝えさせて頂きます。
この笛との出会いは、さかのぼること2008年、ある一つの響きを感じたことから始まります。
その響きを笛師の方に伝えたところ、笛師の方が「一節切」という種類の笛として形にあらわしてくださいました。
その笛ができたのとちょうど同時期に、奈良・薬師寺の僧侶の方からインドの聖地巡礼のお誘いを頂きました。
一節切は、一休宗純様もお吹きになられたとのことから、仏教の大元の地でもあるインドとの繋がりを感じ、インド行きを決断、また吹き初めは一休宗純の庵でもある京都大徳寺の真珠庵、方丈の間でお許しを頂き、一休様の御前で吹かせて頂きました。
その後インド巡礼に行く前に、改めて笛師の方からこの笛の経緯をお聞きしたところ、越前朝倉家十一代当主、朝倉義景公の好みであった笛を、朝倉家にお許しを頂き再現されたものだということを伝えられました。
このことからこの笛は、朝倉義景公へ捧げるいわば鎮魂の笛であるという思いが強くなり、同年の秋には初めて一乗谷の義景公のもとを訪ね吹かせて頂き、翌年2009年の1月に渡印させて頂いた際には、義景公のご供養の為に聖地で吹かせて頂きました。
同年2月には、和歌山の高野山とも繋がり、別格本山の龍泉院の本堂、薬師如来様の御前で献笛、その後日を改めて朝倉家の菩提寺を巡り献奏をさせて頂き、また越前国二の宮の劔神社例大祭でもご縁を重ね、比叡山延暦寺根本中堂薬師如来様の御前へと結ばれ献奏を続けさせて頂くことと成りました。
一管の笛との出会いにより、点と点が結ばれ線と成り、目に見えない何かが引き寄せられ、神仏のもとへと結ばれた事は、歴史を超えて、この今に大切な何かを感じさせて頂き、学ばせて頂けたのだと、有り難く感謝の気持ちでいっぱいになりました。
その後も、福井県史を調べていたところ、大倉家の先祖も幾度となく、お見舞いに御当地を訪れさせて頂いていたり、滞在して居たこともわかりました。
明後日二十日には、ご当地の方のご縁により、朝倉義景公の祥月命日の法要の時にお許しを頂き、気持ちを新たにこの笛を吹かせて頂きます。
朝倉義景公
生誕 天文2年9月24日
(1533年10月12日)
死没 天正元年8月20日
(1573年9月16日)
※ 一節切・一乗之笛
雲龍拝